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豊橋市で七五三のお参りにおすすめの神社5選|写真館がご紹介


豊橋市で七五三のお参りにおすすめの神社5選

七五三おすすめ神社豊橋豊川
七五三おすすめ神社豊橋豊川

七五三は、お子さまの健やかな成長を願う大切な行事です。

「どこの神社へお参りに行けばいいの?」
「写真撮影と合わせて行きやすい神社は?」

そんなご家族のために、愛知県豊橋市で七五三のお参りに人気の神社をご紹介します。

Photo Studio Minmi(フォトスタジオミンミ)をご利用いただくお客様からも、ご相談の多い神社です。


① 吉田神社

豊橋市の代表的な神社として、多くのご家族が七五三のお参りに訪れます。

創建については諸説ありますが、旧社家の文書(天王御縁起)には天治元年(1124)当地で疫病が流行した際、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し疫病退散を祈願したのに始まるとあります。源頼朝の崇敬殊に篤かったとされ、治承2年(1178) 頼朝 雲谷普門寺に在宿の折、御祈願の為名代鈴木新十郎元利をして参拝せしめ、後文治2年(1186)石田次郎為久また代参とあり、其の時二日市に天王社(後に下天王・御輿休(みこしやすみ)天王社 今の新本町素盞嗚神社)を建立したとあります。 牧野古白の今橋城(吉田城)築城後は御城内天王社・牛頭天王社、天保6年に正一位の神階を賜った後は正一位吉田天王社と称しました。
今川義元 酒井忠次 池田輝政 又、徳川幕府成立後も歴代の吉田城主により社殿の造営や修補がなされ、寛文2年(1662)吉田城主小笠原忠知(ただとも)による上下両社殿の造立、及び元禄13年(1700)久世重之による拝殿・廊下等の造立をはじめ文久2年(1862)松平信古(のぶひさ)による修補まで、新造営2回、修理14回皆吉田城主の造営によります。又、鳥居や手水盤等、同じく城主の寄付にかかるものも多く残ります。 現在の拝殿は明治17年に氏子八ヶ町の寄附により新造され、本殿は明治25年秋の台風による杉の倒木により大破したことから、翌26年同じく氏子に寄附を募り、名古屋古渡の匠大橋金次郎によって新造されたものであります。
室町時代には田畠十貫文を領し、今川義元は六貫百文の畠を加増、徳川家康は改めて三十石を寄進し明治に至るまで之を領有しました。 天保6年10月正一位の神階を賜り、明治2年3月吉田神社と改称、明治4年7月郷社、大正11年10月には縣社に昇格せられました。 戦後社格は廃止されましたが、現在も八ヶ町(本町・上伝馬町・萱町・指笠町・札木町・三浦町・関屋町・西八町)の氏神として、又手筒花火発祥の神社として崇敬されております。

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歴史ある境内は写真映えも良く、秋には多くの参拝客で賑わいます。


② 安久美神戸神明社

豊橋駅からもアクセスしやすく、地元で親しまれている神社です。

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天慶三(940)年、平将門の乱平定の報賽として、朱雀天皇より伊勢神宮に三河国の飽海荘(あくみのしょう)が寄進されました。その際、伊勢神宮祭主の庶流大中臣基守がこの地の司として赴き、天照皇大神を奉斎して地域の繁栄を祈願したのが当社の始まりと伝えられております。

この地で作られた米・酒・絹・油・糸・紙など毎年伊勢神宮に奉献されていたことが、神宮雑例集等に詳しく記載されております。当社の社名は、この地域「安久美(あくみ)」の「神戸(かんべ・伊勢神宮の神領地)」に創建された「神明社(しんめいしゃ・天照皇大神を祀る神社)」という意味です。

やがて、武家政治が台頭すると、戦国武将からの厚い庇護を受けるようになりました。三河国を治めた今川氏は、社殿の造営をはじめ、社領・太刀・祭礼に用いる神面等の奉納など、非常に篤い尊崇を寄せました。

永正二(1505)年、今川氏親公は牧野古白に命じて今橋城(吉田城)を築く際、社殿を改築して城内鎮護・鬼門守護の神「城内神明宮」として奉斎しました。以来歴代の城主(藩主)の恭敬も篤く、式年の造営・神宝の奉納等はもとより、参拝・御祈祷など折々に行われ、明治に至るまで受け継がれてまいりました。

明治十八(1885)年、旧社地(現・豊橋公園)が陸軍用地となったのに伴い、現在の地に奉遷されました。大正十二(1923)年には社格を県社に列せられ、当地を代表する神社として衆庶の崇敬は一層のものとなりました。

現在の社殿は昭和五(1930)年に造営されたもので、平成二十二(2010)年には国の登録有形文化財に指定されました。

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七五三のご祈祷を受けるご家族も多く、落ち着いた雰囲気で参拝できます。


③ 羽田八幡宮

地域に根付いた神社で、お子さまの健やかな成長を願う七五三のお参りにも人気があります。

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社伝によると白鳳年間の創立と伝えられています。古来、武門武将の崇敬が篤く、永祿四年十一月、今川氏真は社領十三貫七百文並びに神主屋敷高畑五百歩を寄進。慶安二年、徳川幕府は社領十石並びに神主屋敷共に寄進の朱印状を寄せられ、明治維新にまで及びました。

永正二年、牧野成時が吉田城の築城に際し、当社に祈願し霊験があり以後、歴代吉田城主の崇敬が篤く、社殿の造営、神宝の寄進が度々ありました。

明治四十年、神饌幣帛料供進社に指定、大正十三年に郷社に列せられ、終戦後、神社等級制度で七級社となり、昭和四十二年には四級社に昇格、県下の八幡宮の筆頭となっております。

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季節によって境内の景色も美しく、ご家族でゆっくり過ごせます。

比較的ゆったりと参拝しやすいのも魅力です。


④ 牟呂八幡宮

地元の方に長く親しまれている神社です。

以下引用↓

社伝によれば飛鳥時代、文武天皇元(697)年に創建とされている。平安時代中期に編纂された『三河国内神明帳』に「従五位上 牟留天神 坐渥美郡」と記されている神社は牟呂八幡宮と考えられる。

初め豊前(大分県)の宇佐神宮より八幡大神を勧請し、祀られていたが鎌倉時代の文治2(1186)年、この牟呂は源頼朝の家臣佐々木左衛門尉の知行所となり、社頭に営繕が加えられた。

建久2(1192)年には、鎌倉の鶴岡八幡宮から八幡神が勧請され併祀されている。社伝によると「鎌倉時代、牟呂八幡宮を鶴岡八幡宮から八幡神が勧請の折り、鎌倉・森田・杉本の三社僧が御供して参りました」と説明されている。

また、貞応元(1222)年、鶴岡八幡宮を模して三方(南・東・西参道)大門、三の鳥居南西側に三ツ池を掘り、弁天社等が造られ、これにより当社の社頭が整った。

境内に今は存在しないが鎌倉時代に建立されたとする、仏教寺院の神宮寺が3の鳥居南西側にあったとされている。
棟札は戦国時代の天文11(1542)年3月19日、田原城主藤原(戸田)堯光のものが最も古く、天正20(1592)年11月11日、吉田藩城主池田照政のものもあり、これを含めて約51枚が所蔵されていた。

宮座は、この地方では最も古いと考えられる慶長7(1602)年の「牟呂邑八幡座覚」文書があり、元和5(1619)年の「祭礼座帳」も残っている。宮座は、明治40(1907)年に廃止されるが、大正時代にはこの地方では、いち早く氏子総代制として復活され、現在に引き継がれている。

江戸時代のはじめ慶安二(1649)年三代将軍の徳川家光より牟呂八幡宮と大西の牛頭天王社合わせて四石五斗の朱印地を寄進されている。江戸時代末期の元治2(1865)年には、朝廷から神階の最高階位である正一位を授かる。

幕末期の慶応(1867)3年7月14日、牟呂村大西に発生したお札降りは、「ええじゃないか」騒動の発端となった出来事である。これについての詳細を記したのが『留記』であり、これは宮司であった森田光尋と光文親子がまとめたものである。お札降りは、牟呂から離れると民衆運動の「ええじゃないか」騒動へと変容し、東海・近畿・四国等に拡散していった。

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季節によって境内の景色も美しく、ご家族でゆっくり過ごせます。


⑤ 石巻神社

自然に囲まれた静かな神社です。

少し足を延ばして、落ち着いた雰囲気の中で七五三を迎えたいご家族にもおすすめです。


神社へ行く前の準備

七五三当日は、時間に余裕を持って出発しましょう。

事前に確認しておきたいポイントはこちらです。

  • ご祈祷の受付時間
  • 初穂料
  • 駐車場の有無
  • 当日の混雑状況
  • 雨天時の対応

事前に神社へ確認しておくと安心です。


七五三の写真撮影も思い出に

七五三は、お参りだけでなく写真として思い出を残すことも大切です。

Photo Studio Minmi(フォトスタジオミンミ)では、衣装レンタル・着付け・ヘアセット・撮影までトータルでサポートしています。

お子さまの自然な笑顔や、ご家族皆さまの大切な時間を写真という形で残せるよう、一組一組丁寧に撮影しています。


まとめ

豊橋市には、七五三のお参りに適した神社が数多くあります。

ご家族に合った神社を選び、大切な節目の日を素敵な思い出にしてください。

七五三の写真撮影をご検討の際は、Photo Studio Minmi(フォトスタジオミンミ)へお気軽にご相談ください。


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